8ヶ国語を話すマルチリンガルの個人ブログ

お金と収入と目標の話

時々、飲み会の時にお話することなのですが、毎回「その話面白い」と割と人気なので備忘録的にブログに残しておきます。

目次

今年は年収一億円を目指すよ!と言ってみた

年始のオンラインセミナーで今年の目標として「2021年は一億円稼いでみたい」と話していたら、後で「話を聞いていたパートナーからあの人怪しい人だからあんまり付き合わないほうがいいと言われました」とご報告(?)をいただきました。

私は割とお金の話が好きなのですが、収入の話をすると大抵、下記のような質問やコメントをいただきます。

・ そんなにたくさん稼いでどうするんですか?
・ どうしていつもお金の話をそんなにするんですか?
・ お金は後からついてくるものじゃないんですか?

年末の行動計画セミナーの参加者数名からも、相談を受けたことがあります。

・ 目標年収をいくらに設定した良いかわかりません
・ 自分は収入じゃなくて、どれだけ役に立てるかを目標にしたいです
・ お金はそんなに重要じゃないので

私は年収一千万円を稼げるようになる

日本の多くの人がお金に対して何らかのブロックを持っていると思います。私にも当然あります。若い頃から「働かざるもの食うべからず」と育てられて来ているので、自分で言うのもなんですが貧乏性で仕事をしていないとなんだか不安

反面、お金を稼ぐことに対するブロックは他の人より緩やかだったと思います。

なぜなら、我が家では働けるようになった15歳の頃よりアルバイトが強制推奨され、中学卒業してから留学期間中を除いた今までの人生ほぼずっと働いて来たから。

私は10代の頃から収入に関して明確な目標がありました、25歳の時までに年収五百万円、30歳までに年収一千万円を稼ぎたいと。

奈良県の田舎にあるサラリーマン家庭に育った私の周りで、年収一千万円以上稼いでる人なんて当然いませんでした。たぶん新聞かなんかで、年収一千万円以上の人は日本の数%しかいない、というのを読んだのだと思います。

つまり、当時の私にとって年収一千万円と言うのはとてつもない金額で、数少ない成功した人しか稼げない金額なんだろうなと思っていました。

ではなぜ、とてつもなく成功した人が稼いでる金額を30歳までに稼ぎたいと思ったのか。

それは人生の半分近くの間、追い求めていた夢をあきらめたからです。

私の夢は女優になること

私は小学三年生の時に、将来の夢は女優になることと定めひとりで劇団のオーディションを受けに行き、18歳まで子役として活動しつつ劇団に所属していました。

きっかけは音楽会でミュージカルをやったことでしたが、一時間超の歌、音楽、セリフ、踊りを全て暗記して、一人芝居をしていたから、

「マサエちゃん、そんなに劇が好きなら劇団に入ったらいいよ」と親戚のおばさんから言われたのをきっかけに「へぇ、劇団なんてものがあるんだ」と自分で探し、父に虎の子のへそくり(天皇陛下御在位六十年記念金貨)を出させて入団しました。

芸の道はいばらの道なり。

所属する劇団で開催するミュージカルの主役に抜擢されたり、映画やテレビにちょこちょこ出演してはいたものの「東京の大きな事務所」から声をかけられることがないまま18歳になり、いよいよ高校を卒業する頃「貧乏か夢か」という究極の選択を自分にせまるのです。

貧乏だけは絶対したくなかった

私は貧乏だけは絶対したくありませんでした。

父親が働く会社の業績があまり伸びない中、周りだけがどんどん伸びていくという日本ではバブル経済絶頂期。我が家の家計は常に苦しかった(らしい)。

父の実家が農家でお米や野菜など食べるものにはあまり困らなかったのと、両親ともに健康で働いていたので、安全な住宅街の持ち家マンションで育った子供時代でしたが、なんとなくお金に関してお友達の家とは違うなーとは感じていました。

中学卒業と同時にお小遣いがなくなり、公立高校の学費などは親が出してくれたものの、学校や習い事(劇団)に通うお金は定期代を含め自分たちで稼ぐ、というのが我が家のやり方でした。

一足先に高校を卒業した四つ上の姉は自分で稼いだお金で専門学校を卒業し、就職してからは家にお金を入れていました。

劇団員はみんな貧乏

劇団員ってみんな貧乏なんです。

二十代、三十代のお姉さんがいわゆる私のロールモデルとなるわけですが、好きなことをして生きているはずなのに、なんというか輝きがない。。。

学生の私たちは劇団の稽古は土日や平日夜が中心となりますが、専属の劇団員となると平日昼間がレッスン時間。自由になるのは夜の時間だけなので、多くはスナックなどでアルバイトをしながら両立している人がほとんど。

毎日の飲酒とタバコと役作りのための髪染めで肌も髪もボロボロ(に見えた)センパイたちを見ていて感じたのは、どんなにそれが好きなことだったとしても貧乏は嫌だ、という強い気持ち。

早く独立して家を出たかったし、夢だけでは食べていけない、と強く実感しました。

新たな人生の目標を手書きで書く

18歳の私にとって、夢を追い求めて過ごした8年間って、人生の半分近くを費やした時間でした。

「なんで趣味の劇団を続けながら大学に行かなかったの?」

そう聞かれたことも一度や二度ではありません。

私にとって演劇は趣味ではなく、本気だったので趣味で続けることは考えられなかった。ゼロかイチか。

貧乏しても夢を追い求めるか、キレイさっぱり諦めて別の目標を見つけるか。

後者を選択すると決めた私は、当時、成功に関する多くの本を読み、新たな目標を手書きでノートに残しました。

とてつもなく成功した人が稼いでる金額を30歳までに稼ぐこと、つまり年収一千万円を30歳までに達成するということでした。

大学とアルバイトの両立

大学も可能な限り自分の稼いだお金で行ったんです。

学費だけでなく交通費、遊ぶお金も当然アルバイトで稼ぐので、自宅から通っていても毎年百万円以上が必要になります。二年目には交換留学生としてアメリカの大学に留学することになりました。

アメリカではアルバイトができなくなるので、留学中のお小遣い、日本の学校に支払う学費、渡航費、保険代、などなどを稼ぐためアルバイトを増やしました。その時に学校の成績はオールA、GPA4.0/4.0。

自分が行きたくて自分の働いたお金で通っている学校ですから、当然毎日ちゃんと学校にも通っていました。そうするとアルバイトも効率よくしなければ、年間百万円以上を稼ぐことはできません

当時はインターネットがまだ一般に普及されていなかったのでアルバイト雑誌等を熟読し、より良いアルバイトを探した上で、常に3つから4つのバイトを掛け持ちをしていました。

平日のスケジュールは、朝5時に起きて、5時半の始発でバイト先に通勤、6時から9時までカフェでバイト、時給1200円。その後大学まで電車で移動、10時から17時まで授業を受けたり、空き時間には図書館で宿題や自習。17時になると別のアルバイト先に通勤、23時くらいまでアルバイトした後、帰宅。1時ごろ就寝。翌日5時起床。

平日は、睡眠時間が毎日約4時間という超過密スケジュール、日曜日の午前中だけお休みしていましたが、土日も基本的にはアルバイト。留学が決まった後に稼いだお金は半年で約三百万円

勉強とアルバイトがあまりにも忙しすぎて、もらったお給料を銀行に入れる暇もなく、いつも机貯金。二十万円くらい現金が貯まったら親に頼んで銀行にお金を入れに行ってもらっていました。

睡眠時間四時間だから気づいたこと

この時気づいたことは、大学を卒業してなくても年収六百万円は稼げるんだなって言うことでした。

同時に、睡眠時間4時間でこれだけ働いても年収六百万円しか稼げないんだなぁと言うこと。

じゃあ、年収一千万円、一億円と稼ぐ人は一体何をしているんだろう。

頭の使い方が違うのかな、人は99%以上同じDNAを持っているのに、たくさんお金を稼ぐ人とそうでない人の違いは一体なんだろう。

一年間の交換留学から帰って来た頃、そのまま短大を卒業して就職するか大学に編入するか悩み、就職課の掲示板をのぞいたところ、短大卒の求人の平均は月収十八万円ほど、年収にして二百万円。

夢をあきらめた後、ここまで身を削る思いで短大に通って、年収二百万円か。

学びは投資

そして私はアメリカの大学に編入することを決めたのです。少なくともアメリカの大学に行くことで生涯得られる年収が下がるはずはないと考えたから。

ITを専攻していた私はアメリカから帰って来て24歳で就職した際、年収五百五十万円でスタートを切ります。ただしアメリカの大学に四年間通うことによる借金も増えていて、マイナス一千万円からのスタートでした。(ちなみにこの借金を返済するのに、約五年の年月を要しました)

18歳の時に作成した「人生の目標」では、25歳までに年収五百万円、というのがありました。目標から一年前倒しの24歳で達成。30歳の時に達成する予定だった年収一千万円は二年前倒しの28歳で達成します。

収入目標は生きるための目標

というわけでお金について

私にとって収入とはある意味、単なる数字と言えます。

たくさん稼いだから偉いとかたくさん稼いでるからすごいとかではなくて、どこまでできるのかな、どこまで効率的に仕事をすれば、収入の最大化ができるんだろうなという実験。

ベースにあるのは、やはり短大時代に睡眠時間4時間で学業とアルバイトを両立していたことがあります。

世の中には睡眠時間四時間でがんばっている年収四百万円の人がいる一方で、週に四時間働くだけでその十倍、二十倍ものお金を稼いでいる人がいる。その違いはなんなのか。そしてその収入を得た時、自分と自分の周りはどう変わるのか。どんな夢を語り、どんな思いを共有するのか、それが知りたい。

だから私は自分が考えうる限界に常に挑戦したい。

そしてそこから見える景色を友人と一緒に見たい

まずは、年収一千万円稼いでみたい、という方が私の周りにはたくさんいますが、私と飲んでたら達成できます(たぶん、笑)。

一緒に山に登って、山頂からの景色を楽しみましょう。