8ヶ国語を話すマルチリンガルの個人ブログ

大人の歴史書『日本国紀』を読んで

ここ数年、自分が興味を持つようになったからかもしれませんが、学校教育で学んだことをサラッとおさらいしたい社会人のニーズに応える本が増えているように思います。英語、数学、歴史が主なテーマですが、国語(日本語)をテーマにした本も増えていますね。そんな中、日本における歴史書の決定版とも言えるような1冊が発売となりました。発売されたのは昨年で私も見つけてすぐ購入していたものの、その分厚さに読む前から躊躇してしまい、結局本を開いたのは2月11日建国記念日でした。

目次

マルチリンガルが歴史を学ぶ理由

歴史は好きですが全てを通してというよりは、まだらに「ここが好き!」という時代について調べるのが多いです。大人の方の多くは(特に男性)戦国時代〜江戸、そして幕末〜近代日本までが好きな傾向にあるようですが、これらの時代の変わり目には男の人も惚れるようなヒーローがたくさん登場するのが理由だと思います。

私の目線は時代の変わり目とその頃活躍したヒーローももちろん好きですが、同じ時代の諸外国と比べてどうだったか、という点にあります。理由は一つ、よく聞かれるから、です。

欧米、特にヨーロッパのインテリは歴史や文化にとても興味を示します。彼らが自国の歴史や文化に誇りを持っているのもその理由で、自国出身の文化人などをとてもよく知っているし、芸術に対する知識も深い。

初めてヨーロッパから日本を訪れる人と数日過ごすと必ず聞かれるのが「第二次世界大戦についてどう思うか?」という質問。私はこの質問に答えるには日本の歴史をかいつまんででも話さなければ、理解してもらうのは難しいと考えます。そもそもこの質問にたどり着くまでに、江戸の成り立ち、幕末、明治維新、明治時代と近代化について、増上寺、浅草寺、明治神宮を案内しながらお伝えしていることが多いのですが。

イギリスで学んだ歴史との向き合い方

そもそもなぜヨーロッパ人は、第二次世界大戦について現代人の私たちに尋ねるのでしょう?

私が留学したのはイギリスだけで、そこで見聞きしたことをヨーロッパ全てに当てはめるのは無理がありますが、私が理解している限りだと、彼らは体験者の声で聞きたい。つまりストーリーとして知りたい、のだと思います。

ここに至った理由として少し長いですが、私が歴史好きになった理由と合わせて説明しますね。今は歴史好きを語っている私ですが中学卒業までは歴史はどちらかといえば嫌いでした。

中学までの歴史といえば、年号と時代をとにかくたくさん暗記しなければならなくて、日本だけならまだしもギリシャ、ローマ、中国で起きたことまで広く丸暗記しなければならないのは苦痛でした。

高校に入って歴史が急に好きになったのですが、2つ理由があります。1つ目は当時の先生の情熱に触れたから、2つ目はイギリスでの歴史の学び方が合っていたから。

高校1年の世界史は紀元前ギリシャ時代からスタートしました。よく覚えていませんが、おそらく1年間で近代までカバーする内容だったでしょう。それが私のクラスでは1学期間は全てギリシャ時代でした(笑)教科書で言うと中間テストと期末テストの範囲がそれぞれ4〜5ページ。先生がとにかくギリシャ時代loveな方で、教科書に載っていない、あるいは載っているけれど1行しか触れられていない英雄の話を延々と説明することで1回50分の授業が毎回終了。

おかげでローマ時代以降は駆け足で大変でしたが、歴史に対する考え方が少し変わり、ただ年号や名前を暗記するのではなく、確かにその時代その場所に私たちと同じような人間がいて、考えて、行動していたんだなと感じたのです。

高校2年目にイギリス留学していた際も、歴史を履修、イギリス史と世界史です。イギリス史では1年かけてジェームス1世(1566〜1625)、世界史(と言いつつも実はヨーロッパ史しかやらない)はピュートル大帝(1672〜1725)について学びます。1年で1人だけです。

イギリス史の教科書は新書サイズ1cmくらいの薄っぺらい(失礼)ジェームス1世について書かれた1冊を読むのですが、その内容が細かく、ジェームスには男性の愛人がいたなんてことまで書かれています。日本のあれこれ詰め込み型が当たり前だった私は、なんで1年に1冊なんだろう、とかなんで王様の悪口まで書かれた本を題材にするんだろう、と思ったことを覚えています。

ジェームス1世は、スコットランド王ジェームス6世として戴冠しましたが、エリザベス1世が子供を残さず亡くなった後、イングランドの王となります。彼がイングランド王に即位することになり、実質スコットランドがイングランドに併合されたので、イギリス史的には大きな時代の転換期ではありますが、、、

歴史は人がつくる、人は時代が動かす

その後、大人になってから高校留学時代の先生とお会いしたことはないので、なぜジェームス1世を1年かけて学ぶかと言う理由について聞いたことはありませんが、振り返ると当時の歴史の学び方から2つのことを学びました。1つは「歴史は人がつくる、人は時代が動かす」です。

この時代は日本でも戦国時代から江戸時代へと大きく転換する頃ですが、エリザベス1世の父ヘンリー8世即位からジェームス1世が亡くなるまでの120年間は、イギリスが名実共に世界一(当時、世界といえばヨーロッパ)となる頃と重なっています。大きな時代の変わり目に活躍されたと言う人も所詮は人。裏も表もあるし、結局は議会や民衆の支持、運とも言えるタイミングがないと変わるものも変わりません。

ジェームス1世はスコットランド王としての立場に満足していて、イングランド王なんかになりたくなかったそうです。2014年にスコットランド独立住民投票がありましたが、400年経っても未だに禍根を残す歴史的大イベントは、当人の意志とは関係なく時代に流された感が否めません。

一つのことについて多角的に観察する

ものごとには表面的に見える部分とそれ以外の部分がありますが、見えているのは氷山の一角のようなもの。ある事柄を100とした場合、見えているのは1かそれ以下かもしれません。歴史もそうで、日本の教科書では1行で終わることにも多くの事実や理由があることを体感的に学びました。

社会人になってからITアナリストの道に進んだ際、得意としていたのは根本原因分析でした。なぜこの問題が表面化したのか、その原因を突き詰めていくのですが、その原点はイギリスでの留学中に学んだ経験にあると思います。これは今の仕事で人と接する際「なぜこの人はこういった発言をするのか、こうした態度をとるのか」と考えることに繋がっています。よく観察し、なぜそうなったか考え仮説を立てる、あるいは自分の意見を持つ。理系出身ではないのに、極めて理系的な思考回路でものごとを捉える理由は、ここからだったのかもしれませんね。

 歴史は全てを教えてくれる。

結果的に私にとっては歴史の学び方で今の全てがあるといっても過言ではないのかなぁと思います。

『日本国紀』の書評を書くつもりが、全く違う方向に話が進んでしまいました(笑)。書評は次回のブログで。