8ヶ国語を話すマルチリンガルの個人ブログ

「礼」と「義」



あ〜日本人に生まれてよかった、幸せ♪



週に1回は日本人に産まれて良かったと実感する。

食いしん坊な私の場合ほとんどはおいしいお刺身を食べている時だったり、欧米人ならウェーっと言いそうなものを食べている時だが。


しかし私も時には公園でくるくる回りながらシャボン玉で遊んでいる子供を眺めながら、日本という平和な国で生まれて幸せだなぁとしみじみと実感することがある。

また同じく、日本人として生まれたことに誇りを感じることもある。


私は19代後半から20代後半までの10年間のうち、ほとんどを欧米諸国で有色人種として過ごした。数々のことを経験したがもちろん理不尽な差別にあったこともあるし、嫌な思いをしたことだって一度や二度ではない。しかしほとんどの場合、日本人だと話すと「日本人は信用できる」「日本人は誠実で勤勉だ」「日本製品は壊れないから素晴らしい」などと途端に友好的になり、おまけをしてくれたり家を貸してくれたりしたものである。

そんな時、心の底から日本人として生まれて良かったと思ったし、同時にそれらのイメージを世界中の人たちに植え付けた我が祖先のことを思い感謝をした。



私はまだ日本人のことを語れるほど偉くもないが、日本人として大切にしていることが二つある。
それが「礼」と「義」だ。



「礼」と読むと、礼儀作法など儀式のことも指すが「御礼」の「礼」など感謝の意味も含まれる。日本人同士の会話を聞いていると「あら、おじゃまでしたね。失礼しました」「いいえいいえ。お先に失礼します」などと他人に配慮しながら例え相手が他人であっても礼を尽くして生活している。そんな人を見かけるとほっこりした気分になるし、余裕のないときは忘れがちなひと言がけを心がけようと思う。



「義」とは正義や道義といった意味も持つが私欲がなく「他」のために何かをする、利他の意味も含む。昔から日本人は義理人情にホロっと来るし、寅さんシリーズが全48作も続いたのも頷ける。普段は「時は金なり」と人情もへったくれもなく働いている人が、駅でおばあちゃんの荷物を運んであげるのを見かけちゃったりすると「なんだ、いい人じゃん」となるのである。



「礼」と「義」に共通しているのは心に余裕がないと忘れがちになってしまう、ということである。時間ギリギリに家を出て待ち合わせ場所に向かっていると、階段下で荷物を抱えて困っているおばあちゃんにも気づかないし、スッと部下が仕事を片付けてくれても当然のように受け取ってしまう。

また「礼」と「義」は有頂天になるとつい忘れてしまう、ということもある。人は一人では生きていけない。自分の仕事ができていることも、健康に生活できていることも、産まれたことでさえも、常に誰かの力を借りながら生きている。それなのに自分の力で偉くなったんだと言わんばかりに「礼」も「義」もなくふんぞり返ってしまうことがある。
誰にでも身に覚えがあることだろうし、毎日のように目にする光景でもある。



「礼」と「義」。心に余裕を持ちつつ、周りに生かされていることをしっかり認識しつつ、日本人として誇り高く生きてゆきたいと思う。

そして健康な身体に産んでくれた両親に感謝しつつ、今日もおいしいものをいただきたいと思う。